宿泊業界におけるマンパワー対応の限界
ホテル・旅館業界は目まぐるしい変動の中にある。旅行スタイルは団体から個人へとシフトして、従来の宿泊だけでなく、日帰り旅行への対応など、提供サービスも多様化。最近では、新型コロナウイルス対策の業務も加わった。他の産業に比べて働き手の負担増加や高齢化が顕著だ。
業種別ひと月の出勤日数と労働時間
宿泊業就業者の年齢別構成割合
宿泊業は顧客への対応で業務が進行するため、勤務時間が不規則かつ長時間になりがちで休みもとりづらい。旧態依然とした経営のままでは、サービス品質の低下は免れない。結果、顧客満足度の低下、客数・客単価の減少、収益減少、投資の停滞と負のスパイラルに陥りかねない。喫緊の課題として、働き方改革に取り組むべきだろう。
具体的には、マンパワーを増やせない状況でサービス品質を維持するため、バックヤードの付随作業を効率化することが欠かせない。顧客の満足度向上につながらない不要なサービスはないか、標準化できる属人的な作業はないか、業務内容を洗い出してみよう。ムダを削減し、ITツールの活用などで省力化すれば、人手を増やさなくてもサービス品質は向上できる。
2020年2月に開催された第48回 国際ホテル・レストラン・ショーセミナーで取り上げられた、ホテル・旅館のIT導入による業務効率化の事例を紹介しよう。
ホテルの付加価値を高める、人とロボットとの協働
近年はハイブランドのホテルほど、接客にもITを取り入れた省人化が進んでいるという。たとえばフロントに並ぶ煩わしさをなくすモバイル・チェックインなどだ。だが、バーチャルでは解決できないのが清掃だ。ゴミは実際に拾わなければならない。
客室数の多いホテルほど人手が必要となるハウスキーピングは、ホテル業務の中でも人材不足が深刻な部門だ。加えて従業員の高齢化が進み、作業中の転倒などの労働災害、体力・視力の衰えによるサービス品質の低下といった問題も起きている。
自律走行する清掃ロボットを導入した大和リゾート
「これまでできて当たり前だと思っていたような清掃が、できない時代になってくる」と指摘する、日本ビルメンロボット協議会(JBMRC)特別顧問の田中幸仁氏。
JBMRCでは、ビルメンテナンス分野におけるロボットの普及促進を目指し、宿泊業での実証実験などを行っている。たとえば多くのホテルでは客前で掃除機をかけるわけにいかず、チェックアウト後に清掃を開始しているだろう。だが、自律走行する床除塵ロボット「RcDC(アマノ社)」は客のいるロビーで稼働させても違和感がないという。実際に大和リゾートのホテルが導入している。
「導入したホテルでは、清掃開始時間が1時間ほど早まりました。小さなお子様が物珍しそうについてまわるといった、ほのぼのした光景も見られたそうです」(田中氏)
人の手が届かない場所も、ロボットは得意だ。窓清掃を行う「ウインドウメイト(セールス・オンデマンド社)」は、足場がない、転落防止のため10センチ程度しか開かないといった窓で効力を発揮する。特に窓からの眺望を売りにするリゾートホテルのニーズは高い。
もちろんボタンひとつでロボットがなんでもやってくれるわけではない。狭い場所には入れなかったり、作業に時間がかかったり、できないことや苦手なことも多い。ロボットは使う側が一歩踏み出す、人との協働によって活用の幅が広がる。
「ロボットは広い範囲の清掃を手掛け、人間の集中力や視力では限界がある小さなゴミまでとってくれます。人の手による清掃は、そのぶん細かい箇所に注力できるので、必然的に清掃のクオリティが上がります。それが従業員の自信にもつながるのです」(田中氏)
ロボットの導入で、これまで清掃に意識を向けてこなかった他部署にも作業効率化の意識を持たせるきっかけになったという。
「フロントやドアマン、シェフといったお客様と直に接する花形の仕事に比べ、裏方のハウスキーピングは目立ちません。しかし、料理を作ってリスペクトされるシェフ同様、ハウスキーピングも客室を作ってお客様をおもてなししているのです。普段なかなかスポットが当たらない清掃部門の地位向上は、ホテル自体の付加価値を向上させる鍵になるでしょう」(田中氏)
ルームサービスもロボットで対応。渋谷ストリームエクセルホテル東急の「Relay」
客室へのデリバリーサービスにロボットを導入する例もある。渋谷ストリームエクセルホテル東急のフロントは、自律走行型ロボット「Relay(米Savioke社)」を待機させている。ルームサービスのオーダーやアメニティの追加といった客室からの内線連絡を受けると、Relayに品物を入れて部屋番号を指定。Relayは無線で自らエレベーターを呼び客室前まで自走し、客室の内線を鳴らして到着を知らせる仕組みになっている。
「最新の情報・文化が集まる渋谷らしさの象徴として、滞在されるお客様に、最先端の技術で楽しんでいただきたい」と語る、マーケティングの横田大輝氏。実際、客からは驚きと喜びで受け入れられ、従業員からも「頼もしいチームメイト」と見なされている。
「特に夜間のデリバリーは大変助かるという声が圧倒的です。夜間フロントは2人体制をとっており、デリバリーに手をとられるとスタッフの安全面に不安が生じます。24時間365日稼働するRelayは、仮に時給1000円3交代制に換算すると、1日24000円相当の人件費を1台でまかなってくれます。またお客様の感動を引き出し、当ホテルのブランドイメージを上げる効果はそれ以上の価値です」(横田氏)
バックヤードの効率化には、ITが不可欠
料理提供のIT化でホスピタリティを上げる加賀屋
全国の数ある老舗温泉旅館の中でも圧倒的な支持で知られる、石川・和倉温泉の加賀屋。4棟で総客室数232室の規模ながら、食事処でも部屋出しでも料理は一度にすべて並べることはせず、最善のタイミングで1品ずつの提供を徹底し続けている。客室支配人の藤森公二氏は「加賀屋のモットーである〝笑顔で気働き〝のためにバックヤードをITでサポートし、お客様へのおもてなしに集中する仕組みづくりに取り組み続けてきました」と語る。
パントリーシステムの刷新もそのひとつだ。顧客要望の多様化・高度化にあわせて、備品調達の連絡は電話からタブレットへ切り替えた。
「大型旅館はパントリーも20ヶ所以上に点在します。忙しい時には電話連絡では対応が難しい状態だったのです。
また、タブレットにすることで、アレルギー情報も『●●号室は〇〇アレルギー』と確実に目で確認できるようになりました。さらに順にお出しするお造りもパントリーごとに時間を打ち込めば、中番を通じて厨房に指示がいき、リアルタイムに動くことができます。客室係もそれぞれがスマホを持ち、メールで連絡がとれる体制です。フロアごとに飲料のオーダーやアレルギー対応が可能になりました」(藤森氏)
AIでサービス向上を検証する湯の川プリンスホテル渚亭
加賀屋のIT化と同様に、接客環境を整えるためのツールとして積極的にAIを活用しようとしているのが北海道・函館の湯の川プリンスホテル渚亭。AIによって各スタッフの接客の質を高める「次世代システム構想」を掲げ、公立はこだて未来大学と共同研究を進めている。
現在は主にビュッフェ会場でスタッフの位置情報と行動パターンを取得し、いつどの場所にいれば最適なサービスが提供できるかを分析している。また、ビュッフェ料理の皿ごとの残量をカメラで測定して追加料理の作成指示をするシステムも構築中だ。実用化すれば、オーダー料理に近い出来立ての料理を提供できるだけでなく、食材ロス対策にもなる。
「良い接客とは、お客様との接触頻度とグッド・コミュニケーションの掛け合わせです。接触頻度はITやAIの力で高めることができますが、グッド・コミュニケーションはスタッフ一人ひとりの個性を大切にすることで生まれます。データの活用で、経験の浅いスタッフでもコミュニケーションが可能な環境を提供できます。まだスタートラインに着いた状態ですが、これからは研究から実用化に向け、システム構築を本格化していきたいです」(湯の川プリンスホテル代表取締役社長 河内昌貴氏)
HACCP対応も自動化。温度の測定・記録・保管にIT活用
「食の安全・安心」にITを活用している事例もある。ザ・プリンス パークタワー東京と東京プリンスホテルでは、食品衛生法の改正で2021年6月に迫るHACCP制度化に向け、冷蔵庫・冷凍庫・調理場内の温湿度監視をIT化。無線センサーで1分ごとの温湿度を自動計測・記録し、クラウド型のアプリで管理している。
管理部門で食品衛生を担当する春木絢音氏は、「ホテルは工場や倉庫のように業務がルーチン化されていません。最も重要なのは、だれが、いつ、どのように行うのかを明確にした運用マニュアルを作成し、現実的な運用体制を構築することです」と語る。
冷蔵庫・冷凍庫の故障や扉の閉め忘れ、コンセントの抜けといった異常も早期発見できるようになったという。記録はペーパーレスで電子データ化され、従業員による帳票の記入業務の負担を軽減。現場担当者へ行ったアンケートでは、回答した全員が「システムを導入して良かった」と答えている。
IT導入にかかる費用には補助金制度が活用できる
IT化のメリットは理解しつつも、金銭的な負担がネック、という事業者は少なくないだろう。中小企業・小規模事業者等のITツール導入には、経費の一部を国が補助する「IT導入補助金」制度があるのでぜひ利用してほしい。対象となるITツールは「IT導入補助金」の公式サイトに公開されている。一例をあげると、
・自動化・効率化ツール(複数宿泊予約サイトへの自動登録など)
・顧客・予約管理(顧客の客室や料理に対する好みのデータの蓄積など)
・ホームページ作成
・在庫管理(客室のリネンやアメニティなど消耗品の管理など)
・受発注管理(食材の無駄のない仕入れなど)
などが対象となっている。交付条件や申請期間などのスケジュールもあるため、詳細はサイトを確認するか、経営コンサルタントや所属する商工会議所などに相談してほしい。
何のためのIT化か。目的を明確にすることが課題解決の第一歩
このほかにも、宿泊業をサポートするさまざまなITツールが登場している。クラウド上で客室と予約状況を管理できるシステムや、仕入れ品や食材の原価・請求管理を容易にするWeb受発注システムの導入は、業務効率を高めるだろう。しかし、宿泊業のIT活用とは、すべてをオートメーション化し省力化、効率化することではない。
ここまで見てきた事例のいずれもその本質は、ITとは人が人にしかできない仕事により注力するためのサポートツールであるということだ。どんなに技術が発展しようと、ホスピタリティの主語が人からロボットに変わることはない。ITを導入する目的は何か、経営者自身だけでなく従業員全員の共通認識があれば、今ある課題を解消する有効な手段となるだろう。